第9話 アルコール燃料蒸留に成功する

地雷による負傷が大分良くなって合肥に戻った頃、既に戦争は末期的様相を呈していた。ガソリンの補給は皆無で自動車を動かす事も出来ず、出張には第一方面軍の木炭トラックに便乗するしかない状態だった。

   事務所の近くに石鹸を製造している科学者の王さんがいた。
   見るとソーダの代りに藁灰のアクを使っている。それが面白くて話しが弾み、親しくなっていた。
  ある日彼が
「福建省でアルコールを作っていた金陵大学の同級生が、帰郷の途中立ち寄ってくれた。もしアルコールに興味がおありなら、会って見ませんか」
と知らせてくれた。
   アルコールがあれば、ガソリン車を動かす事ができる。
   翌日、約束の時刻に訪ねると、友人は早朝に出発してしまったが、蒸留装置の略図を残してくれたと言う。敵地区で軍用アルコールを作っていた彼は、私と直接会うことを避けたのだろう。
  略図には寸法もあり、私には十分理解できた。早速、製図をし、ブリキ職人を呼んだ。私のかつての工場経験が思いがけず役に立って、ドラム缶と車庫の屋根のトタンで蒸留装置は完成した。

    燃料は薪と乾燥牛糞。微妙な温度調節に牛糞は欠かせなかった。
    原料は大麦焼酎。これは農村部で大量に入手出来た。
    1担(60kg程度か)を、わずか1斤の塩と物々交換できたので、ありがたかった。塩は山東省の塩田から軍用貨物で届くから幾らでも手に入ったが、農村部では貴重品だったのである。

  原始的な装置で、三段冷却槽には労務者を雇い、井戸水を注がせた。結果は大成功。92度のアルコールが、見事、抽出できたのである。

 

 

 

日中戦争の中の青春  目次へ