第7話 泥酔した従軍慰安婦
昭和19年ごろに蚌埠の街で見かけた、忘れられない光景がある。
人だかりがしていたので覗きこむと、泥酔した慰安婦を、日本の憲兵が、襟がみを掴んで引きずり、慰安所に連れ戻そうとしている所だった。
朝鮮語で泣き叫ぶ女性は、長襦袢に腰紐一本、履物も脱げて哀れな姿だった。
当時私は、彼女らが強制連行されたとは知らなかったので、やけ酒を飲む困った人達だとしか思わなかった。
戦時中日本軍、或いは政府が朝鮮半島などから強制連行した男女の数は、
どれほどであったろうか。
樺太(サハリン)に連れて行かれた人々は、敗戦時、
「お前らは日本人ではないから」
と引き揚げ船に乗せてもらえず、いまだに帰国できないままの人たちが多くいると聞く。
「従軍慰安婦調達」と称する若年婦女の拉致は、許されない犯罪である。
「女子を送れ」と言う戦地からの要請に、日本政府は、
「大和なでしこを送るわけにはいかんから、朝鮮で調達しろ」
と言う方針を立てたようだ。
戦地行きの売春婦に志願する者がいる訳などない。
役人達は、若い女性を強制連行した。
実行犯だった朝鮮総督府の元役人の懺悔話を、新聞で読んだことがある。
早婚の地だから若い母親や新婚の妻も多かった。
運命を知って船から身を投げて死んだ女性も少なくなかったと言う。
「朝鮮女は口もきかんし、暗い顔をしておって、つまらん」と、
戦地で慰安所経験を話す兵士もいた。
当然の話しだ。
衛生環境も比較的よかった中国人慰安婦は、安定収入も得ていたようで、
街で陽気に振舞う人たちを見たことがあるが、朝鮮からの慰安婦達は運命を呪い、拉致されたことを絶対許していなかったのだろう。
◆中谷久子さんと同年代の少女達の戦争体験文集
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