人心の荒廃、そして激しいインフレ

 

『特攻隊くずれ』という言葉を良く聞きました。 酷いと思ったものです。 国の為に死ねと言われて、辛い訓練を受けていたのに、何もかもが無駄になっての敗戦。
仲間は何のために死んだのか分からなくなってしまった。 死ぬつもりになっていた十代の少年達は、もう用は無い、帰れといわれても、納得できるわけがない。 一部には荒れ狂って犯罪に走る者も居ましたし、ヒロポン中毒で廃人になった例も聞きました。 『特攻隊崩れ』だなんて、ひどすぎる言い方でした。 彼らをそこに追いやった軍首脳こそが、糾弾されるべきなのに。
町では粕取り焼酎なるものがはやりました。 本当のカストリなら良いのでしょうが、バクダンというのが有りました。 当たれば死ぬ、毒性の強い「メチルアルコール」です。 飲んで失明したり死んだりした例を良く聞きました。 殺人酒が出回っているのを百も承知で、呑んだくれている人の気持ちは全く理解できない私たちでした。 うちには酒好きが居ませんでしたから。
当時の生活格差は今よりはるかに酷いものでした。 ヤミ商売で大儲けをした成金は焼け残った豪邸を買い、焼け跡の防空壕には、焼けトタンで雨をしのいで住んでいる人々が居る。 焼け跡にバラックを作る能力のある家族はまだましですが、どうにもならず立ち尽くす人々も居たでしょう。 明日の米をどう工面するか、先の見えない中で、酒におぼれるおじさんたちが居たわけです。
第三国人の横暴も話題になりました。 それまでいじめ抜かれていた中国や朝鮮の一部の人々が、ここぞとばかり知恵を絞って、ヤミ商売をやりたい放題で、大儲けしたと聞きます。 彼らはあまり取り締まられなかったようです。 ヤミ商売をする才覚のない庶民は、どんどん価値の下がってしまうお金で、今買える物をとにかく買っておこうと血眼になり、インフレはどんどん加速しました。
私の母は、昭和 13 年に夫を亡くしたとき、家を売って、自分が一生暮らせるだけの、一時払い郵便年金に加入しました。 毎月必要な生活費を下ろせるはずでしたが、猛烈すぎたインフレによりその一か月分で、パン一個しか買えなくなっていました。
郵便局から通知が来て、わずかな金が一回下りてその年金は消滅しました。 つまりそこで父の遺産はなくなったわけです。 買わされていた戦時国債は、全く支払われる事なく、紙くずと化したようでした。

 

戦中戦後の子供の暮らし  目次へ